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憲法記念日に思うこと

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 今日は、憲法記念日です。

 

 先月4月18日に、エマニュエル駐日米国大使閣下が、政調会長室を訪問して下さり、意見交換をしました。

 

 エマニュエル大使からは、「今後の為にも、敵の指令センターを打つミサイルが必要。防衛費を戦略的に使うべき」との指摘がありました。

 

 私自身は、昨年の総裁選でも「反撃の為のミサイル配備の必要性」を主張していましたし、現行憲法も「座して死を待つ」ことを求めているわけではありません。

 しかし、国会内には憲法第9条を理由に「反撃」や「ミサイル配備」に反対する意見が多いであろうことも考え、この日は主に、相手の「指揮統制機能を無力化」する為に、「宇宙、サイバー、電磁波分野での防衛力を強化したい」旨を、お伝えしました。

 

 私が憲法に言及した時に、エマニュエル大使から「北朝鮮や中国のミサイルは、憲法改正を待ってくれない」との発言がありました。

 

 少し腹が立って、「そもそもGHQ(連合国司令部)が僅か1週間で作成した現行憲法の改正要件(衆参両院の総議員の3分の2以上の賛成で国会が発議・国民投票で過半数の賛成)のハードルが高過ぎる」ことを話しましたが、「憲法改正を待っていたら、あと何年かかるか分からない」と言い放たれ、米国政府の認識を理解しました。

 

 他の自民党議員も、米国政府要人から「日本人は、未だあの頃の憲法を守っているのか」と驚かれたと、怒っていました。

 

 本来、主権を回復した昭和27年(1952年)に、国会は憲法改正に着手するべきでした。

 

 終戦当時の『ハーグ条約』には、「占領者は占領地の現行法を遵守すべし」と規定されていました。

 しかし、松本国務大臣が提案した新憲法案を拒否し、昭和21年(1946年)2月4日、マッカーサーGHQ最高司令官は、ホイットニー民生局長の下で、早急に作成することを指示しました。

 同年2月12日には、英文による草案が完成しました。GHQ僅か1週間で作成したのです。

 

 国家主権が制限された中で制定された憲法は、形式的には国会における手続きを経たものの、「公職追放」が行われていた時世の中で、国会議員や国民の自由な意思が反映されていたとは考えられません。

 

 『帝国憲法改正案』が提出された昭和21 年(1946年)第90 回帝国議会では、共産党の野坂議員が反対討論を行いました。

「自衛権の放棄は民族の独立を危うくする危険がある。将来、この憲法の修正について努力する権利を保留して、反対する」

 

 自民党は、結党以来、「自主憲法の制定」を党是としています。

 

 私が生まれる前から、議員になる前から、自民党の先輩議員が、日本を主権国家にふさわしい国にする為に、憲法改正を目指して営々と議論を積み重ねてこられました。

 

 昭和31年(1956年)に『憲法改正中間報告』を、昭和47年(1972年)に『憲法改正大綱草案』を、昭和57年(1982年)に『日本国憲法総括中間報告』を発表しています。

 

 私自身が党内議論に参加した憲法改正案は、2件。

 

 平成17年(2005年)、自民党は、全条文を提示した改正案として『新憲法草案』を発表しました。

 

 平成24年(2012年)には、『日本国憲法改正草案』を発表しました。

 これは、平成17年の旧草案を全面的に再検討し、内容を補強したものです。自民党憲法改正推進本部で、2年半の時間をかけ、50回を超える討議を積み重ねて作成しました。

 

 平成19年(2007年)の『憲法改正国民投票法』の制定、衆参両院への「憲法審査会」設置についても、自民党は、主導的な役割を果たしました。

 

 現在は、国会における憲法改正議論を一歩でも前に進めるべく、自民党は4項目に絞った提案を行っていますが、私は個人的に、平成24年の『日本国憲法改正草案』が大好きです。

 当時の自民党は野党でしたから、党本部に居る国会議員の数も少なかったのですが、私たちはそれぞれに案文を提出し、激しい議論を行い、苦労して完成させました。

 

 現行憲法は、インターネットが無かった時代、人・物・情報が迅速に国境を越えることが無かった時代、周辺国の軍事力や軍事技術も含めて国際環境が違っていた時代のものです。

 既に、現代の諸課題には対応できなくなってきています。

 

 「日本人の手による、日本の心を持った憲法」を制定することこそ、安全な日本、次世代に誇りを持って遺せる日本を創る為には不可欠だと確信しています。

 

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