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「美しく強い日本」へ⑨:家庭で学んだこと

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 一昨日までに懸念すべき事柄を幾つか書きましたが、私たちが日本民族の原点に立ち戻って国家社会を立て直すことは、決して不可能ではないと考えています。
 

 かつて日本の競争力の源泉だとされた「世界最高水準の安全」「優れた技術力と人材力」などは、政府が適切な政策を実行することで再興することが可能です。
 
 また、財政健全化、教育改革、犯罪対策などにも大いに関係する「社会秩序」を回復する為に私たちが取り戻すべき道徳的価値観については、ほんの数十年前までは多くの家庭で当たり前に教えられてきたことばかりです。
 

 私自身は決して「正しく生きている」と胸を張って言えるような人間ではありませんが、ごく普通の共働きのサラリーマン家庭で育つ中で、両親から人として最低限のモラルだけは教えてもらえたと思っています。
 

 この年齢になっても、幼い頃に両親から繰り返し言い聞かされた事柄が「思考や行動の物差し」として刻み込まれていることを感じます。
 

 「他人様に迷惑をかけることは絶対にしないこと。早苗ちゃんが過ちを犯したら、家族全員がお天道様の下を歩けなくなるのだよ」
 

 「職業に貴賤は無いよ。汗水たらして真面目に働くことが尊いのだよ」
 

 「陰で他人の悪口を言わないこと。言いたいことは直接本人に伝え、その場合も、相手の気持ちをよく考えること」
 

 「毎日、ご先祖様に感謝をすること」
 

 「食べ物は粗末にしないこと」
 

 「学校では、先生の教えに従うこと」
 

 「家族も集団生活なのだから、他の家族が不愉快になる振る舞いはしないこと」
 

 子育てや祖父の世話で大変な時期にも、夜遅くまで家事をこなし、朝は誰よりも早く職場に着いて、同僚の机を拭いて花を活けることは、職業人としての母のプライドでした。 
 設備機械メーカーで営業をしていた父も、顧客から相談を受けると、真夜中であろうが日曜日であろうが、遠方までも車で駆け付けていました。
 実直に勤勉に働くことの尊さは、両親の後ろ姿から学びました。
 
 早朝に、炊き上がったばかりのご飯とともに最初に入れたお水とお茶をお仏壇に供えることは、幼い頃からの私の役割でした。
 夜になると、母はお仏壇から下げた固くなって埃をかぶったご飯をお茶漬けにして食べていました。
 ご飯粒ひとつも無駄にせずご先祖様に感謝しながらお下がりを頂く母の姿は、私や弟にとって最高の「食育」でありました。
 

 また、学校の先生が理不尽な叱り方をしたと泣いて訴える私を、両親は引っ叩きました。
 私の言い分も十分に理解していたのだとは思いますが、教師を尊敬して素直に学ばせることの方が重要だと考えていたのでしょう。
 

 社会人になってからも、未熟な私は、両親に度々叱られ、教えられることばかりでした。
 

 20代で大学教員として働き始めた頃、珍しく母から電話があり、厳しい口調で諭されました。
 「偶然、貴女が討論番組に出ているのを観たけれど、どんなに考え方が違う方と議論しても、相手を追い詰めないこと。必ず逃げ道を残して、相手の面子を潰さないように女性らしい気遣いをしなさい」
 

 初めて選挙に立候補することが決まった時には、「決して個人攻撃をしないこと」。
 激しい選挙戦でも対立候補の批判をせずに自分の政策だけを淡々と訴える私のスタイルは、「要領が悪い。やられっぱなしで見ていられない」と後援者の嘆きの種でもありましたが、今では誇りに思っています。
 

 最初の選挙は落選。2度目の選挙は、32歳で挑んだ平成5年の衆院選でした。
 

 まだ中選挙区制度だった時代でしたが、奈良県では5名の現職議員が強固な地盤を誇っており、日本中が新党ブームに湧いた時でもあり、無所属の私が当選できる可能性は皆無と言われていました。
 「二度目の失敗は政治生命を断つことになる。あと一期待ちなさい」と後援者からも引き止められ、公示日を目前に苦悩していました。
 

 そんなある夜、家族が寝静まった後に帰宅すると、キッチンのテーブルの上に父からの手紙が置いてありました。
 「俺の退職金は、選挙費用の足しに全部使ってよい。イライラせずにやれ。自信を持って! 握手、お辞儀を忘れるな。気楽にやれ」 
 

 父の手紙を抱き締めて泣きながら、出馬表明を行なう決心をしました。
 直進型の私に手を焼き、常に堅実に生きることを私に求め続けていた父が、最も苦しい決断の瞬間にそっと背中を押してくれたのです。
 

 この選挙で初当選を果たした私でしたが、その後も「親には敵わない」感じることばかりでした。
 

 ある週刊誌の記者が、全く身に覚えのないことで私を中傷する記事を書こうとして実家まで押しかけてきたことがありました。
 この時には、あまりに一方的で失礼なことを言う記者に腹を立てた母が玄関口で追い返してしまったらしいのですが、父が母を強く叱りました。
 「記者さんだって仕事で来ているのだ。暑い中を東京から来られたのだから、冷たいおしぼりとお茶を出して休んでいただくのが礼儀だろう」。
 

 今では高齢になった両親ですが、たまに私の顔を見ると口にする言葉は「初心を忘れるな」です。
 日々の多用に振り回されて他人様への対応が雑になっていると自覚している時には、大いに反省させられます。
 

 両親は、戦中戦後の混乱期を生き、子供時代には十分な食べ物も無く、兄弟が多い中で苦学をし、家庭を築き、人並みに我が子を育てるために必死で働き続けてきた平凡な昭和ヒトケタ生まれの日本人です。
 

 長々と書き連ねた両親の言動は、どれも当たり前過ぎることばかりなのでしょうし、私自身もどれほど親の教えを守って生きてくることができたのかと振り返ってみると反省すること頻りです。
 

 しかし、改めて振り返ってみると、「日本人としての生き方」の基本は家庭で学んできたのだと確信できます。
 

 親も子供も何かと多用な時代ではありますが、全てのご家庭が少しずつ努力を重ねて子供の躾に責任を持つことによって、社会全体に公徳心や規範意識が醸成され、結果的には「問題発生によって生じる社会的コストの削減」や「経済成長」にも繋がっていくのだろうと思います。

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