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「勝手補佐官誕生」

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 8月に地元・奈良市で夏祭りに行きましたら、何故か盆踊りの櫓の前でロック・バンドが演奏をしていました。

 RCサクセッションっぽいノリのバンドでしたが、演奏の合い間に、ボーカルの派手系の若い男の子が、叫んだのです。「イエ~イ!みんな元気か~い?俺は来賓席を見てビックリしたぜ。あの『勝手補佐官』の高市さんが来てるんだゼ~。みんなも応援してやってくれヨ~!」選挙を控える身としては「私の名前を売ってくれてありがとおっ」と涙が出る程嬉しいハプニングでしたが、それ以上に嬉しかったのが、「こんなに若い人が『勝手補佐官』を知ってくれてる」という事でした。
 永田町で最近笑いを取っている「勝手補佐官」誕生の経緯をご紹介しましょう。6月の総選挙後、特別国会初日の本会議で首班指名選挙が行われ、圧倒的多数で森喜朗氏を選出。第2次森内閣が発足しました。

 ところが、ところが、その夜のニュース番組を見ていると、自民党の若手議員が「森内閣ではダメだ」「森さんには交替してもらうべきだ」と発言しているではありませんか。

 翌日の自民党代議士会で私は発言を求めました。「私たち代議士にとって、首班指名の一票は何より重いものだと思います。国民の代わりに内閣総理大臣を選出する首班指名の一票は、首班指名の一票だからです」、「投票用紙に自分で『森喜朗』と記入した直後に総理の不適格性を指摘するのは国民に対して無責任だと思います」、「森総理に失政があれば、それも選んだ私達の責任であるから、批判するより全力で支えるべきだと思うこと」などを、皆に訴えました。数日後の7月11日、安倍官房副長官から電話が有り、森総理が鉄板焼きをおごって下さるとのこと。出掛けてみると、下村博文衆議院議員、世耕弘成参議院議員、山本一太参議院議員も来ていました。その場で私も含めた4人で「勝手に総理を補佐する」ことを決め、総理にお伺いを立てました。「私達これから『勝手補佐官』と名乗らせていただきます。そして官邸の外から勝手にサポートさせていただきます。勝手補佐官の名刺もバッジも作って本格的に活動を開始しますが、よろしゅうございますね?」酔っぱらって上機嫌の総理が「変な奴らだなあ。まあとにかく頼むよ」と我々のアホな企画に乗って下さったので、この夜めでたく「勝手補佐官」がオーソライズされたのであります。下村議員が都市政策、世耕議員がIT政策、山本議員が外交政策、私が経済政策、と担当も決定。

 早速翌週から、世耕議員は総理にパソコンの特訓を開始しました。小渕前総理の「ブッチホン」に替わって、国民への「森メール」発言を計画。マウスの使い方から悪戦苦闘の森総理に「この際、おやじにも使い易いパソコンの開発を国家として支援する政策を発表してくださいよ」と檄を飛ばしています。この続きはまた来週。

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