コラム

  1. TOP
  2. コラム
  3. 大和の国から 平成15年11月~平成17年8月
  4. 政府歴史見解は、早急に見直されるべきだと思う

政府歴史見解は、早急に見直されるべきだと思う

更新日:

 先週末は、やり切れない思いで過ごしました。アジア・アフリカ諸国の代表者が集まる場で演説された小泉首相が、改めて「日本政府の歴史見解」を披露して反省と謝罪の意を表明されたことに、少なからず驚き、ショックを受けたのです。

 小泉首相が演説で引用された「政府の歴史見解」とは、次のようなものです。
 「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで、国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に過ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここに改めて痛切な反省の意を表し、心からお詫びの気持ちを表明致します」 
 現在の政府歴史見解は、平成7年8月15日に発表された村山富市首相談話をそのまま、その後の内閣が踏襲しているものです。
 この政府見解の表現や内容を見直す必要性については、『大和の国から』に掲載した小文でも1度触れましたし、月刊誌の『正論』や『諸君』に発表した論文中でも主張したことがございますが、改めて疑問を感じているポイントを書いてみます。

 第1に、この見解は、過去のどの戦争のいかなる行為に対する反省であり謝罪なのかが明らかではありません。

 第2に、現在の政府に反省や謝罪の主体者としての権利があるのかどうかということにも疑問を禁じえません。
 近代法の原則では「罪は犯した人に専属するもの」ですから、日本は日本人に生まれただけで罪であり反省と謝罪をすべしという「民族責任論」を唱えていることになってしまいます。
 ドイツのワイツゼッカー元大統領は、「1民族全体に罪がある、もしくは無実である、というようなことはありません。罪といい無実といい、集団ではなく個人的なものであります」「今日の人口の大部分は、あの当時子供だったか、まだ生まれてもいませんでした。この人達は、自分が手を下していない行為に対して自らの罪を告白することは出来ません」と発言しています。
 また、現在の米国大統領の父上であるブッシュ元大統領は、過去の原爆投下を謝罪するかどうかを問われて「私からはありえない」と答えました。「罪も無い市民の死を悼むし、米軍のそうした攻撃で子供を失った家族に心から同情する。しかし、私は同じ飛行隊の同僚の母親達にも同情する。戦争は地獄だ。謝罪を求められるいわれはない。そうした考えは歴史に対するひどい見直し論だ。トルーマン大統領は厳しい決断に直面し、その決断は正しかった。それは何百万人もの米国民の命を救った」「我々が言っているのは、忘れよう、そして一緒に前を向いて進もうということだ」。
 二人とも、自らや現在の国家が過去の戦争に関する反省や謝罪の主体者たりえない事を語っています。
 
 第3に、「国策を誤り」という表現ですが、これは謙虚に見えて実は非常に傲慢な発想だと思います。もしも先の大戦で日本が戦勝国となっていたら、東京裁判で一方的に断罪されることがなかったとしたら、この見解は変わっていなかったのでしょうか。
 現代に生きる私たちが先の大戦について書かれたものを読んで「何故、諸大国を相手に勝ち目のない戦争をしてしまったのか」と嘆くことは簡単ですが、前記同様、当時の日本を取り巻いていた国際環境の中で当時の政権が決断したことを国策の誤りと決め付けて断罪する資格が、現在の政治家にあるとは思えないのです。当時の日本が取り得た「他の正しい選択肢」「後世から絶対に批判されない選択肢」を、自信をもって示せる政治家など居ないと思います。
 
 第4に「植民地支配」への反省もしていますが、これは、条約に基づいて獲得した権益そのものを反省しているのでしょうか?
 例えば、日本の支那における諸権益は、日清戦争以降の日支間条約によって定められていたものです。日韓併合は、1910年調印の「日韓併合に関する条約」によって実現し、当時、ロシアと英国はこれを了承し、米国も異議を唱えていませんでした。
 国家間で結ばれた条約に基づいた植民地化であっても被統治民となった方々の無念や屈辱感に思いを致すことは大切だと思います。しかし、当時の条約に基づく事実全体への反省や謝罪を現在の日本政府が行なうとしたら、これも傲慢な話で、間接的に、米国のフィリピン併合、英国のビルマ・シンガポール・マラヤ・香港領有、オランダのボルネオ・ジャワ・セレベス領有、フランスのラオス・カンボジア攻略なども非難の対象としていることになる上、戦後、サンフランシスコ条約14条の対象外であった諸国に対して「賠償」ではなく「経済協力」の形で多額の資金を支払ってきた先人の外交努力を無駄にするものでもあります。
 
 第5に「侵略」という概念についても、政府歴史見解ではあまりにもアバウトに使われていると思います。ちなみに、この歴史見解を作られた村山首相は、衆議院予算委員会で「総理は侵略戦争と思って戦場に行ったか?」との私の質問に対して「当時はやはり、そういう教育を受けていたこともあって、お国の為と思って行った」と答弁されました。
 その戦争が自衛戦争なのか、いわゆる侵略戦争なのかは、当時の「国家意思」の問題です。国民は天皇陛下の詔勅によって国家意思を理解したものと思われます。先の大戦開戦時の昭和天皇の勅語は「米英両国は、帝国の平和的通商にあらゆる妨害を与え、ついに経済断交をあえてし、帝国の生存に重大な脅威を加う。帝国の存立つ、またまさに危殆に瀕せり。帝国は今や、自存自衛のため決然起って、一切の障害を破砕するのほかなきなり」としています。
 政府は、具体的にどの戦争をどういう法的根拠で侵略戦争と解釈しているのか、当時の国家意思をどう理解するのかを明確にしなければならないと思います。

 国際法上の「侵略戦争」の定義とは何なのでしょうか? まず、国家は基本権として、開戦権、交戦権という「戦争権」を認められており、その上で、1899年及び1907年の「陸戦の法規慣例に関する条約」によって交戦法規が定められています。具体的には、非戦闘員殺傷の禁止、非軍事目標や非防守都市攻撃の禁止や残虐兵器使用の禁止、捕虜虐待の禁止等で、これに違反した個人は「戦争犯罪人」として処罰の対象とされたのです。

 日本で言う「侵略戦争」に近い定義が登場したのは、1928年にパリで60ヵ国により締結された「ケロッグ・ブリアン条約(不戦条約)」からだと思います。 この条約では、国際紛争解決の手段としての戦争を非としていますが、批准にあたって各国から条件が付けられ、ここで言う「戦争」とは「WAR OF AGGRESSION」であって「自衛戦争」は含まれないと解されることとなりました。
 英国は「植民地を含む自国領域防衛のみならず、海外の自国権益保護も自衛と認める」と宣言しています。
 更には、当時の米国国務長官ケロッグ氏が「自国が行なう戦争が、自衛戦争であるか侵攻戦争であるかは、各国自身が認定すべきものであって、他国や国際機関が決定できるものではない」と主張し、米国政府公文により、明確に「自己解釈権」の概念が発表されました。
 この不戦条約をもってしても、自己解釈権はもとより、満州事変に到るまでの張作霖・学良親子の条約違反、日本人に対する挑発行為、米国の中立非遵守、支那事変に到るまでの国民政府軍による辛丑条約違反と挑発行為、太平洋戦争に到るまでの米英両国から国民党政権への爆撃機供与や経済的援助、ABCD包囲網による経済的封鎖、ことに石油の全面禁輸といった挑発行為に鑑みると、日本の行なった戦争を「侵略戦争」と総括するには無理があります。
 また、条約当事者のケロッグ国務長官自身が、1928年12月7日に米国上院外交委員会において「国家が相手国に対して攻撃を加えること無くして、単に経済封鎖することも戦争行為である」と認めているのです。この理屈ですと、先の大戦も、真珠湾攻撃以前に連合国側から仕掛けられた戦争行為に対して、日本が自衛戦争に突入したという考え方が成り立ちます。前述しました天皇陛下の開戦時の勅語に込められた国家意思の背景が解ります。

 自国が行った戦争が自衛戦争だったか否かに関して「自己解釈権」を認めている不戦条約ですが、村山談話を機に、「日本は不戦条約に違反しました。日本が行ったのは自衛戦争ではありません」という宣言を行ったことになります。 

 また、「東京裁判の違法性」についても、多くの研究者によってすでに明らかにされているところです。この裁判の管轄権が最後まで明示されず、根拠法が不明だった上、太平洋戦争のみならず、満州事変やノモンハン事件にまで対象が拡大されています。最後は「平和に対する罪」や「人道に対する罪」などといった事後法によって裁かれたことも、再度、国家として検証すべき点でしょう。

 漠然とした「戦争責任」を安易に認め、何に対する謝罪かも明らかにせず、自ら現代の外交交渉の足枷とし、謝罪外交・土下座外交に甘んじることは主権国家として実に無責任な姿勢だと言わざるを得ません。アジア諸国に対しても、むしろ無礼な振る舞いでしょうし、「民族責任論」を振り回すことで、日本人の誇りも傷つき、次代を担う子供たちの教育にも悪影響が出てしまっています。
 今一度、政府も国民も立ち止まって、タブー視せずにこの問題を緻密に研究し、議論を深め、「新たな政府見解」を模索すべき時ではないでしょうか。

前のページへ戻る

  • 自民党
  • 自民党奈良県連
  • リンク集