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さよならレーガン大統領

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 先週11日には、ワシントン大聖堂にて、去る6月5日に亡くなったレーガン元米国大統領の国葬が行われました。
 大統領専用機でカリフォルニア州からワシントンDCに運ばれた元大統領の棺は星条旗に包まれ、国葬に先立ち2日間に渡って連邦議会議事堂中央ホールに安置され、多くの国民が最後の別れを惜しみました。弔問開始時刻の15時間も前から長蛇の列が出来たと聞きます。連邦議会では、共和党議員達が「紙幣や通貨にレーガン元大統領の肖像を採用する法案」を提出。今も多くの人に愛される元大統領の人柄に思いを至しました。
 
 私がワシントンDCで暮し始めたのは、レーガン政権の後半でした。
 愛読していたワシントンポスト紙という新聞の日曜版には政治漫画が掲載されていたのですが、レーガン大統領は漫画のネタにはうってつけのキャラでした。 ブッシュ大統領の様な東部エスタブリッシュメント出身のエリートと違い、レーガン大統領は、貧しい家庭の出で、大学時代の成績も悪く、B級(?)俳優から政治家に転身した人です。国民にとっては身近で親しみ易く、本人がジョーク好きだった事もあって、常に笑いを取る存在でした。
 「レーガンは会議で難しい経済の話題になると、いつの間にか馬とカウボーイの落書きを始めてしまう」というエピソードを書いた本もありましたが、新聞漫画でも、天真爛漫な性格やナンシー夫人のお尻に敷かれる生活ぶりが面白おかしく描かれていました。

 しかし、政治理念は実に明確でした。「新連邦主義」を掲げて「小さな政府」を推進。大型減税で米国経済の活力を引き出しました。グレナダ侵攻やリビアへの空爆も断行、強硬なタカ派でもありました。
 残念ながら失策と思えたのは、教育政策でした。「小さな政府」実現を急ぐあまり、教育予算の93%を地方に負わせ、財政的に貧しい州の教育の質が急激に低下したのです。

 事実上の離任演説となった1988年8月の共和党大会でのスピーチは、今でも強烈に記憶に残っています。前任者であった民主党のカーター大統領の弱腰を批判して「私たちが政権を担った2765日の間、1日たりとも共産主義者に地を譲った事はない」と信念を貫いた自らの政治姿勢をアピールしました。
 ペギー・ヌーナンという偉大なスピーチ・ライターの原稿を、台本を覚える様に自らの言葉とし、見事に演じきった大統領は「グレート・コミュニケーター」の愛称を手にしました。
 ちなみに歴代大統領の愛称にはユニークなものが有ります。カーター氏は「鉄のケツのジミー」、ニクソン氏は「鉄のパンツ」、気の毒なルーズベルト氏は「エレノアの夫」、クーリッジ氏は「ミスター現状維持」、ハーディング氏は「握手魔」等々・・。

 愛すべき元大統領の霊の安らかである事を祈りたいと思います。そして、アルツハイマー病治療の発展を期して幹細胞研究を提唱するナンシー夫人の活動の成功を願います。

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