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安倍副長官と岸信介首相

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 先週末、私が支部長を務める自民党奈良県第一選挙区支部主催で「安倍内閣官房副長官&高市経済産業副大臣・対論セミナー」なる催しを開いてみました。
 流石に「大ブレイク中」の安倍人気、2000人近くが足を運ばれ、会場に入りきれないお客様がロビーに溢れる程の騒ぎとなりました。


 安倍副長官と私は衆議院議員初当選が同期(平成5年)で、年令も7歳しか違わない同世代、そして国家観に共通する所が多いので、何とか気を許して友人付き合いをさせていただいています。
 当日は、安全保障、外交、教育、憲法等、実に生真面目な議論をしたのですが、随所でホノボノ系の楽しい話も伺えました。


 安倍副長官が安倍晋太郎外相の息子さんというだけでなく、あの岸信介首相のお孫さんでもあることから、お祖父様との思い出についても尋ねてみました。
 岸信介首相は、世論の反対を押し切って日米安保条約改定を断行し、批准直後に退陣に追い込まれた首相です。新聞報道によると(私はまだ生まれていなかったので)、左派からは、反米感情や米国の対アジア戦争に巻き込まれるのではないかとの懸念からの反発が有り、足元の保守派からも、「自主防衛を目指すなら、安保改定よりも憲法改正を優先すべき」との批判があったといいます。
 岸首相の決断は、日米安保がもたらしたその後の日本の平和と繁栄により評価され、さらに最近では、日本がテロリズムや北朝鮮の脅威に直面していることで、再度高く評価されているように見受けられます。


 安倍副長官によると、お祖父様が日米安保条約改定に取り組まれた昭和35年、自宅周辺は「安保反対!安保反対!」と叫ぶデモ隊に包囲されていたそうです。
 当時、6歳だった安倍副長官には、「安保反対」の意味が解るはずもなく、お兄様と2人で「アンポ・ハンタイ、アンポ・ハンタイ」と言いながら家中を走り廻っていたのだとか・・。
 お父上の晋太郎さんは「こらっ、安保賛成と言え!」と息子達を叱ったけれども、岸首相は、ニコニコしながら楽しそうに孫達を見守っておられたそうです。
 現在の日本を取り巻く国際環境の中で、安倍副長官は、孫としてというよりも1人の政治家として改めて岸政治を評価していると、思いを語ってくれました。イラク戦争への対応に関する日本の「国家意思」の決定に際して、日本の国益と世論との狭間で、官邸内でお祖父様と同じ様な苦労をされたからでもあるでのでしょう。


 ところで、事前に会場内のお客様から寄せられていた「福田官房長官と仲が悪いって本当ですか?」という質問には「福田先生が私の仲人だったので、仲が悪いなんてことはありません」と、必死で否定されていたのが笑えました。

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