コラム

  1. TOP
  2. コラム
  3. 大和の国から 平成15年11月~平成17年8月
  4. 引っ越しと秘書達の再就職

引っ越しと秘書達の再就職

更新日:

 奈良の事務所も自宅もダンボール箱の山で、通常業務や生活にも支障が出ていたのですが、ようやく片付きつつあります。箱の中身は、衆議院会館事務所や議員宿舎に置いてあった本や書類です。

 落選後に最も大変だったのが、この引っ越し。なんと、深夜に落選が決まった投票日翌日から数えて3日以内に国会事務所を空け渡す決まりになっているのです。後には新しく当選された議員が入られるので、壁紙の張り替え等の改装工事に必要な日数を考えると、これがギリギリの引っ越し期限なのだとか。
 落選翌日には、選挙戦で疲れ切った体を引きずって秘書とともに上京。殆ど徹夜の作業を続けて10年分の書類等を整理して箱詰めをしました。同じフロアでは落選した議員がかなり多かった様で、周囲の事務所でも泣きながら夜通し作業をする秘書さん達の姿が。

 夜が明けてから、荷造りをする私たちを励ましに、随分沢山の方々が駆け付けて下さいました。政務次官や副大臣として長年一緒に働いた経済産業省の方々、文部科学委員長時代にご一緒した文部科学省の方々、奈良県の予算の事でよく要望に出向いていた国土交通省の方々。「必ずまた帰って来て下さいよっ」「勤務が終わったら荷物運びを手伝いに来ますから」と口々に言いながら涙ぐんで下さっているのを見ると、こちらも目頭が熱くなってしまいました。
 昼になると、よくパンを買いに行っていた議員会館地下の売店の方が「これ食べてね」と食事を差し入れして下さった上、「寂しいわ」と言って泣いて下さるので、私もまた涙ポロポロ。国会の衛視さん達や宅配便屋さんも顔をだしては泣いて励まして下さるので、荷造りの手を止めては涙と鼻水を拭いていました。

 人の情けに感謝しながらの引っ越し作業が終了した後に私が着手したのは、東京の秘書達4人の就職先探しでした。
 全員自宅は東京ですし、住宅ローンを抱えていたり子供が多い秘書もいます。国会事務所が消滅した為、翌日からの職場が突然に無くなるのです。
 あちらこちらに出向いて頭を下げて廻りましたが、結局は、清和会(森派)で新しく当選された議員さん達が経験の有る秘書を求めているとのことで、4人の秘書達は私が愛用していた冷蔵庫や本棚やビデオデッキなどとともに、各事務所にもらわれていくことになりました。

 私が東京を後にする前に、東京事務所の秘書達4人とともに「最後の食事」を致しました。なぜか「ステーキ食べたいっ」と言い出した彼らとともに、レストランでステーキをお腹一杯いただきました。
 選挙戦や荷造りの疲れも見せずに笑顔で「また代議士と一緒に働ける日まで、私たちも頑張っていますから!」とステーキを頬張る秘書達から新たなパワーを貰って、笑顔で奈良へと向かいました。長年一緒に頑張ってくれたみんな、有難う。

前のページへ戻る

  • 自民党
  • 自民党奈良県連
  • リンク集