コラム

  1. TOP
  2. コラム
  3. 大和の国から 平成15年11月~平成17年8月
  4. 選挙戦を振り返って

選挙戦を振り返って

更新日:

 11月9日投票の総選挙で、衆議院議員としての議席を失いました。
 史記に「敗軍の将は兵を語らず」とあり、昔から、戦いに敗れた者は再び軍事について語るものではないとされてきました。この他にも、「敗軍の将は敢えて勇を語らず」「敗軍の将は再び諜らず」ということわざが有ります。
 落選直後に、政治コラムを連載していたデイリースポーツ紙や月刊「財界」誌から「選挙戦を振り返って」という内容の原稿依頼を戴いた時には、大変書きにくい事と迷いました。しかし、読者の皆様に、私の体験を通して「平成15年の政治を取り巻く世の中の空気」や「候補者から見た選挙戦の現場」を少しでも体感していただけるなら幸いと思い直して拙稿を発表致しましたので、ホームページをご愛読いただいておりました皆様にも、簡単ではありますが選挙戦についてのご報告をすることと致しました。

 とにかく私にとっては、今まで経験したことのない奇妙な苦しい選挙戦でした。
 解散直前に自民党本部が行なった奈良1区の世論調査と私自身が専門業者に依頼した世論調査では、ともに私が2ケタ台のリードとなっており、「この数字で投票日までに逆転されたケースは過去には皆無」とのコメントが付いていました。
 しかし、何が起こるか分からないのが選挙戦。加えて、奈良1区はコスタリカ方式ですから、私が敗戦してしまいますと次回選挙に出馬する自民党候補が苦戦することになります。とにかく少しでも多くの票を積み上げる事を目標に、後援会幹部には「かなりの接戦です」とのメッセージを伝え、選挙戦日程もかつてない程にハードな組み方をして戦いに臨みました。
 選挙戦前半は絶好調でした。街宣車で走っていても、対向車から手を振って下さる方が多いのみならず、過去の選挙では経験がない程に多くの方が家から飛び出して来て下さいました。日に数十ヶ所は街頭で車を止めてスポット演説を行ないましたが、足を止めて熱心に聴いて下さる方が多く、毎夜5箇所ずつ開催した個人演説会も、大抵の会場は大入り満員でした。
 選挙戦中盤の世論調査でもリードの報告が有り、私もスタッフも後半に向けて大いに馬力がかかったところでした。

 ところが、投票日5日前になって、ガラッと街の空気が変わりました。手を振って下さる方が激減。街頭演説をしていても、やたら冷たい視線を感じるばかり。こんな激変の経験はありませんでした。
 選挙戦中盤の連休から、無党派層が多いと言われる奈良市西部・北部の住宅地に大量の中傷文書が郵送されていたのです。ほぼ全戸に届いていた住宅街やマンションが多く、半端な数ではなかった様です。
 内容は、私のみならず長年真面目に働いてきた両親の名誉を傷つける酷いものでした。犯人は判りませんが、このような中傷文書配布は「名誉棄損」のみならず公職選挙法が禁じる「虚偽事項の公表」にあたる為、投票日の3日前に告訴手続きを済ませました。法的措置を取ったことで市民の皆様に中傷文書の内容が虚偽であることを理解していただけたらと望みをつないだのですが、「選挙結果に影響を与える恐れあり」との理由から、各新聞社は告訴事実すら報道して下さらず、名誉回復の機会は与えられませんでした。
 終盤3日間に入ってくる情報は憂鬱なものばかりでした。女性3人ひと組で私の悪口を言いながら戸別訪問をかけているローラーグループが市内各地に複数出没。レストランなどで「高市早苗って隠し子が三人もいるんですって」「委員長や副大臣になれたのも、党の幹部に体を売ったかららしいわよ」などと大声で話し続ける女性チームも各地に多数出没。インターネットでも同様の内容が流されていました。加えてコスタリカの相手方である自民党比例候補の後援会名を名乗って民主党候補への投票を依頼するいたずら電話までかかっているとのこと。わけのわかんない落選運動の中で、唇を噛み締めて戦った終盤戦でした。
 こういった一方的な誹謗中傷を受けた場合、現行の公職選挙法では、候補者には対抗手段が無いのが残念です。
 選挙期間中に候補者が合法的に配れるものは、街頭演説中に配布できる限られた数の政策ビラと一定数の推薦葉書のみ。中傷内容が嘘であるとの釈明を書いた文書をポスティングしたり郵送することは禁止されています。自分のホームページにも選挙期間中の新規書込は禁じられていますので、名誉回復の方法は何ひとつ無く、全くお手上げなのです。

 さて、あまりにも奇怪な事が次々に起きて、候補者自らが「選挙全体の流れが明らかに変わった」と感じた程でしたから、投票日には早々に落選を覚悟していました。
 テレビの開票速報を空虚な思いでチラチラ観ながら「敗戦の弁」を考えようとするのですが、必死でボランティアをして応援して下さった方々への申し訳なさで胸が一杯になって集中できず、気のきいた言葉を考える事は止めてしまいました。
 ただ一つだけ決めていたのは、落選者の決まり文句になっている「私の不徳の致すところで」というセリフは使わないということ。日本では、候補者自らが敗戦要因の分析などをクドクド喋るのは潔しとされず「不徳の致すところ」は便利な言葉ではあるのですが、自分の事を「不徳(徳が足りない)」と思っていたなら最初から立候補なんかしないもんね・・。
 結局、深夜に落選が決まって、涙ぐむ支援者の前で口から出た言葉は、「私の力不足で負けちゃって、ゴメンなさい!」だけでした。

 落選後、新聞等では客観的に私の落選理由を分析して下さっていたようです。大混乱の中でじっくり報道をチェックする時間が無かったのですが、大別すると「公明党の推薦を受けられず、公明票の多くが民主党候補に入ったから」「コスタリカ方式の相手との協力関係が十分でなく、自民党票の数割が民主党候補に入ったから」「選挙直前まで現職副大臣として忙しく、民主党新人の様に地元で駅頭演説や戸別訪問をする機会が少なかったから」といった内容だった様です。
 最初の2点については、自分では確かめ様もない話です。最後の点については、真面目に仕事をしている与党の現職議員なら仕方のないことで、私も週末しか経済産業省を離れられない現実の中で、精一杯の地元活動をしてきました。新人候補の様に毎日地元活動をすることは叶いませんでしたが、土曜・日曜で沢山のミニ集会を開いては、国政報告をして、参加者のご意見を伺ってきました。私なりに体力の限界まで頑張ったつもりです。
 特に選挙直前の1年間は、副大臣を努めていた経済産業省では、東京電力不祥事への対応、イラク戦争時の原油対策、借賛保証制度創設など中小企業金融の拡充、WTO交渉、と懸案山積の大変な時期でした。平日は早朝7時過ぎから役所に出て国会対応をしていましたし、週末も海外出張や国内出張で地元に戻れないことが度々でした。しかし、経済産業省はこの1年で多くの成果を残せましたし、自らの選挙対策よりは政府の1員として全力投球することが納税者への責務であるのですから、全く後悔はありません。
 選挙戦についても、過去4回の選挙に較べるとはるかに多くの演説をこなし、訴えた政策も十分に練ったものでしたから、全く後悔はありません。
 支援者の皆様からも「他陣営の政策ビラは選挙中に何度も郵便受けに入っていたのに、早苗さんの政策ビラは1度も入ってなかった。怠慢だ」「街宣活動が地味過ぎた」等の敗因を指摘するお叱りが多々ございました。しかし、選挙期間中は個人宅への政策ビラのポスティング配布は法律で禁止されていますので、怠慢ではなくて法律を守っただけ、そして関西の景況がまだまだ悪いこともあって、私自身の決断で街頭では極力浮わついたパフォーマンスを控えたのです。
 
 今後の為にと色々と敗因分析をして下さっる方々からは「不謹慎だ」と叱られちゃうかもしれませんが、正直なところ、自分では「敗因」はどうでもよくなってしまっているのです。
 振り返ってみても、私にはあれ以上の仕事もあれ以上の選挙戦も出来なかったと思います。その上で奈良1区の有権者の皆様の厳粛な審判を受けたのですから、「自らに全く悔い無し」です。
 思い残す事があるとすれば、3期目に必死で勉強をし根回しをして4期目に提出を目指していた数本の法律案が出せなくなってしまった事、全ての条文の精査まで完了していた憲法と教育基本法について改正作業に関われなくなってしまった事です。しかし、選挙結果を素直に受け止めて、思いは断ち切る他ありません。
 今は、10年余に渡る国会活動を支えて下さった多くの皆様や家族に感謝の気持ち一杯です。32才から国政の場で走り続けてきましたので、この機会に与えられた充電時間を大切に使って、気になりながら掘り下げる暇の無かった政策課題をじっくり研究してみたいな・・と楽しみにしています。

前のページへ戻る

  • 自民党
  • 自民党奈良県連
  • リンク集